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2009年11月28日
最後の紅葉
きょうの朝は晴れなのに小雨が降り、会津の方の空は曇りという不思議な天気でした。
里の紅葉もまもなく終わりです。
残り紅葉を探して近くを歩いて来ました。
まだこんなにもみじが色づいているところもあります。
投稿者 kiki : 2009年11月28日 16:52
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コメント
kikiさん こんばんわ
晩秋から初冬への季節の移ろい、
諸行無常が感じられるお写真です。
千手観音さまは、あらゆるお姿で、無常なることが世のならわしであることを説いておられるのでしょうか?
烈風に舞い散る落ち葉が、実は、来世への功徳であり滋養となることを、お説きになられているように感じてしまいます。
現世の人間にとっては、失敗こそが次の機会への功徳であり滋養であるとお教えになられているように感じます。
今、不幸とか失敗とか感じてしまう体験は、明日への功徳であり滋養なのでしょうか?
無常、すなわち因果とはそういうものなのでしょうか?
落葉は、やがて腐葉土として樹々の滋養となることを思うと、そんな考えに至ってしまいます。
すなわち、御仏が説かれる「諦め」とは、「決してあきらめず、不幸や失敗が明日の幸せの源になるのだから、しっかりと考えなさい」と励ましておられると、僕は考えます。
よーするに、仏教って、考え方が前向きなのですね。
そう思うと、嬉しくなりますよ!!!
投稿者 やまがっこう : 2009年11月28日 19:44
>やまがっこうさん、こんばんわ。
現代は「平和」ではありますが、これからの未来を考えるととても楽観視できるものではありせん。
たとえば「少子化」「核家族化」「高年齢化」「格差社会」「地方の弱体化」等々。
なのでちょっと過激なお話です。
『千手観音』
「千手観音さま、どうか人々をお助けください。この世の中はあまりに不条理で生きているのがとても辛いです」
「どうしてなのか。みんな平和で安心な生活をしているではないか」
「それは見せかけだけなんです。多くの人が職を失い、親子関係は断絶し、昔のように若が老を尊敬しなくなってしまいました」
『観音様の怒り』
「なんだって。わたしはこうして千本の手で人々を助けている。これでも不満なのか」
「現代では千手観音さまの救済もあまり効果がなくなってしまいました」
『力尽き』
千手観音さまは千の手を万にして、すべての人々を救済しようとしましたが、そのあまりに根の深い問題を目の当たりにしてとうとう力尽きてしまわれました。
もうこの世に仏さまはいなくなってしまったのでしょうか。
『赤いお臍の女の子』
親の世代の苦労も知らないで、若い娘たちはただその日だけが楽しければいいという思いで毎夜遊び歩いています。
『冬への入り口』
春の女神が訪れる季節になるには、厳しい冬を乗り越えなくてはいけません。現代ではこの門さえ通るのが難しくなりました。冬がないので春も当然やってきません。
『落葉 (らくよう)』
すべての葉が落ちて、身にまとうものがすべてなくなるまで人々は気づかないのでしょうか。
『最後のお姫さま』
わたしが先祖を守る最後の世代です。わたしの後の世代からは先祖を守るという風習すらなくなってしまいました。
次は「救済」のお話になりますが、それはまたこの次の機会にしましょう。
投稿者 kiki : 2009年11月28日 21:26
kikiさん
本当に深刻なお話、
これからも、心して、拝聴させていただきます。
真剣にうけたまわりますので、次の機会にも、心おきなくお話しなさってください。
僕も、真剣に考えますので。
投稿者 やまがっこう : 2009年11月28日 21:47
kikiさん、おはようございます
昨日の福島との天気に違いに少し驚きました
郡山は晴れて青空で気温も高く風もなくぽっかぽかでしたから、もう冬なのですね。
千手観音の木はトウカエデでしょうか?
美しいですね、とても好みの形です
千手観音とたとえると下から仰ぎ見るのが正しいかと思いますができるなら同じ高さになって近くでお話してみたいという思いもあります
投稿者 ステラ : 2009年11月29日 10:09
>やまがっこうさん、ありがとうございます。
救済に入ります。
『観音様の決意 (深い慈悲のこころ)』
「それでもわたしは守ってあげます。たとえわが身が滅び去ろうとも」
『大地の子宮』
悪しきものは自然と淘汰され、大地の子宮からはたくさんの新しいいのちが生まれました。
『再生の時』
大地は再生され、そこには生物たちの新たな営みが始まりました。わたしも・・・。
投稿者 kiki : 2009年11月29日 10:10
>ステラさん、ありがとうございます。
福島市は山がすぐそばまで迫っているので、会津の影響を強く受けます。
でも午後からは晴れて暖かかったです。
この木は郊外とはいえ実は人工物で囲まれているんですよ。
なのでこのアングル以外だといろいろ余計なものが入ってまとめきれないんです。
千手観音の木、実物を見るとたぶんびっくりします。
どこにでもある何の変哲もない木なんです(笑)
投稿者 kiki : 2009年11月29日 10:28
kikiさんのお話しを何度も読み返しますと、
末法の世の乱れそのものと感じます。
これは、現在の世の中そのものですよね。確かに。
また、一人一人の心の中にも、大なり小なり、自力本願では救いがたい何かが存在する。
そういう世に観音様は33のお姿に変化(へんげ)して、大慈大悲のお心で救いの手を差し伸べられるのでしょうか。
平安時代末期の浄土信仰にも似た救済でしょうか。
確かに、現在は、救済を願っている人々が多い、大変な世相です。人々のパワーも、目に見えて落ちています。
大地の子宮のお話しは、旧約聖書「創世記」のソドムとゴモラや、ノアの箱船を連想いたしました。これは仏教にはないお話しですよね。
再生とは、魂の浄化、、、
この世に生きながら魂が浄化されて再生する人もいるし、
生まれ変わることによって魂が浄化されて再生する人もいる、、
大地の子宮に清き命が宿り、そして新たな命が世を再生するとなると、このお話しは、仏の一切衆生に対する大慈大悲によって、その悟りの内奥(胎蔵)から生起した諸仏・諸尊の世界である胎蔵界曼荼羅を彷彿とされるものが感じられます。
それにしても、kikiさんのお話しは、奥が深いです!!!
投稿者 やまがっこう : 2009年11月30日 14:35
>やまがっこうさん、ありがとうございます。
おっしゃるとおり『再生』の前に『魂の浄化』は必要ですね。
浄化せずに再生したらちょっと困りものです。
ここの写真は二日間で撮影したので、『魂の浄化』の写真は残念ながら撮れませんでした。
その写真を撮るにはこの季節より冬の方がいいのかもしれません。
投稿者 kiki : 2009年11月30日 22:15
千手観音、良い表現ですね♪
お話も面白いです。
私は千手観音の人心の奥底まで見通すようなお顔や
馬頭観世音や不動明王のように厳しい表情がとても好きです。
人々の過ちを戒めつつもどこか優しげな眼差し、、
投稿者 Shimizu : 2009年12月02日 02:23
>Shimizuさん、ありがとうございます。
わたしも千手観音の毅然としたお姿が大好きです。
千本の手でどんな人をも救済しようとする慈悲のお力には尊敬してしまいます。
天井界のみならず地獄までも救おうとするそのやさしさには驚きます。
わたしも救われたい一人です。
投稿者 kiki : 2009年12月02日 18:20