2009年11月29日
「無」のイメージ化の試み
この前の「紅葉のある家」を例に「無」のイメージ化をしてみたいと思います。
この家の中には紅葉を初めすべての自然(宇宙)があります。
これは「有」の状態です。
ではこの家の戸を開けて中に入ってみましょう。
今まであったはずの自然(宇宙)はどこを探してもありません。
これは「無」の状態です。
つまり一見何もないような「無」の世界は実はこの世のすべてのもので満ち溢れています。
この家の中は「無」でありながら「有」の状態になっています。(絶対無=絶対有)
これが世界の調和、均衡がとれた状態です。
投稿者 kiki : 2009年11月29日 10:40
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コメント
素晴らしいお写真とお話。
僕もkikiさんのお考えをじっくり噛みしめたいのですが、
今日、観察会の後の会議中に、痛めている左腕に、何かの拍子にものすごい痛みとショックが走り、肉体的精神的に限界になっています。
大変申し訳ございませんが、明日、ゆっくりとkikiさんのお話しを熟読して噛みしめさせていただきますね。
今日は、まだ夜の8時前なんですが、お休みいたします。
投稿者 やまがっこう : 2009年11月29日 19:22
>やまがっこうさん、ありがとうございます。
連日のお仕事とご用事でお疲れなんですね。
どうか肩の痛みが治りますように、わたしから妖精さんに頼んでみますね。
妖精さんはよいお薬を持っているので、やまがっこうさんがお休みの間にそっと塗ってくださるかもしれません。
わたしもあしたからまた少女を演じます。
どうかゆっくりお休みくださいね。
投稿者 kiki : 2009年11月29日 20:20
kikiさん こんにちわ
昨夜は、暖かいお見舞いのお言葉を頂き、本当にありがとうございました。
おかげさまで、本当に熟睡することができました。
あらためて、kikiさんのお話しを、読ませていただきました。
禅の「公案」に近い、とても奥深い内容です。
家の中に見えたはずの宇宙が、家の中に入ると見あたらない。
しかし、見えている姿は何かの実体を反映している。
煩悩が人の視界に影響を及ぼして、欲のおもむくままに求めたところ、実体は欲を満たすものではなかった。そのくりかえし。そんなイメージを感じました。
諸行無常は世のならいなのでしょうか。
無常なる変化の繰り返しにも秩序はあるのでしょうけど、その秩序が破られた時、破戒が生じる。
破られた均衡は、破戒をイメージいたしました。
破戒は限りない人間界の煩悩によりもたらされる。
破戒によって、人間は自力では本願成仏できなくなる。
そこに菩薩様の慈悲心であるところの無辺の大悲が必要になってくるのでしょうか。
救済とは大悲なのでしょうか。
確かに、御仏の大悲を、様々な哲学や文学などにフォーマットして、現世の人間に届けることが大切ですよね。
すみません、僕の、底が浅い考えでは解釈できない、底の深さを感じてしまいました。
投稿者 やまがっこう : 2009年11月30日 11:33
無いが有るって、ありと私も思います
ない状態で求めればいろんなありが集まってくることもあります
そのとき必要なありだけをうまくキャッチできればいいのですよね
私はまだ欲張ってしまう部分を切り離せないままかな。
どんなタイプの人でも気づくときって必ずあると思いたいです
投稿者 ステラ : 2009年11月30日 18:32
>やまがっこうさん、ありがとうございます。
妖精さんはいらっしゃったでしょうか。
とにかく熟睡できてよかったです。
人でも社会でもある一定の均衡を保っています。
その均衡が破られた時、どうなってしまうのか。
人は当然病に冒され、それだけでなく社会も病に冒されてしまいます。
社会の病理は構成員である人にも重大な影響を与えます。
それを回避するために宗教では救済があります。
哲学や心理学でも同じような概念があります
諸行無常はあらゆる人に平等で健康的な考え方ですね。
わたしはとても好きですよ♪
投稿者 kiki : 2009年11月30日 20:34
>ステラさん、ありがとうございます。
この概念の本来の意味を離れて
「一つのものを見る場合、その人それぞれによって見え方が違う」
と考えてもいいように思います。
ある人にはそれはAに見えても、別な人にはBと見えてしまう。
なんだか写真のお話になってしまいました♪
投稿者 kiki : 2009年11月30日 20:48
ガラスに映る紅葉、、綺麗ですね~
小春日和が作り出すつかの間の『美』かな?これは、、
これかから訪れる色の無い季節を思うと尚更美しく感じます♪
投稿者 Shimizu : 2009年12月02日 02:37
>Shimizuさん、ありがとうございます。
ガラスに映る紅葉が信夫文知摺で撮れたのは、何か因縁があったのでしょうか。
ここを訪れるまでその発想は全然ありませんでした。
観音様が導いてくださったのかもしれません。
投稿者 kiki : 2009年12月02日 18:32