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2013年11月24日

十牛図プロローグ

わたし

 夜の三春大神宮から三春町内を見ると空中に光輝く場所が見えました。
 そこは同じようにライトアップされている愛宕神社でした。
 愛宕神社の紅葉のライトアップはわたしにいろいろなことを考えさせてくれました。

投稿者 kiki : 2013年11月24日 16:39

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コメント

kikiさん、こんばんは!
基本的に私はライトアップというものは好きでありません。
木々がようやく安らごうとしているところを起こすようなものですから、、、^^;)
前回の見張る大神宮のライトアップは眠りを妨げられた木々が怒っているようにさえ感じられて怖かったです。

でも、今回の愛宕神社のライトアップは、とても穏やかで静かな悲しみと言うか、生きとし生けるものの普遍的な悩みみたいなものを感じます・・・何故かしらね?

最近、携帯でブログを見ることが多くて、kikiさんのブログはパソコンから観ないと全部見られないので、大雑把な感想でごめんなさいね!

投稿者 雀 : 2013年11月24日 20:02

>雀さん、ありがとうございます。

わたしも写真を撮るようになるまでは、雀さんと同じ理由でライトアップが嫌いでした。
自然は人が人工的に手を加えるものではなく、あくまでも朝太陽が出るとともに起き、太陽が沈むとともに眠りにつくのが当然だと思ったからです。
太古から繰り返してきた営みを人が壊すのは好ましいことではありません。

以前は裏磐梯とか景勝地を撮影することが多かったのですが、年ごとに自然の破壊がひどくなり最近はあまり行かなくなりました。

身近な三春に通うようになったのは郡山に来てからなのでごく最近です。
福島市のお寺さんほどではないですが、三春町も紅葉の楽しめるところがたくさんあります。
ライトアップをすることを知り、興味半分で行ってみました。
そこで出会ったのは、昼間のような豊富な太陽の光を浴びたきれいな紅葉ではありませんでした。

わたしの写真ではうまく伝わっていないかもしれませんが、そこで見たものは生きる事の苦悩、喜び、死することへの悩み、恐怖等等、どちらかというと自然=人の持つ負の側面でした。

影のないところには光は存在しません。
紅葉も美しい昼だけの姿だけでは半分も見たことにはなりません。
夜の影の部分も紅葉には申し訳ないですが撮影させていただき、自然=人の本性、全体像の一部を再確認しようと思いました。

「三春大神宮」の撮影意図は生と死の苦しみと喜び、「愛宕神社」はそれらを超越した癒しです。少しでもいいからそれが写真に現われていたらとてもうれしいです。

投稿者 kiki : 2013年11月24日 21:27

明かりに照らし出された世界が神秘的で美しいです。
陽は落ちても彩りは彩りなんですね~
『一隅を照らすこれ即ち国宝なり』
何故か伝教大師の言葉を思い出してしまいました。

投稿者 KEN : 2013年11月25日 16:45

kikiちゃん こんばんわ~♪

愛宕神社様境内の紅葉ライトアップ風景は、真夜中の荘厳な雰囲気のなかにあっても、いろいろと感じさせるものがありますね。

「十牛図」のこと、たしか平成22年の夏頃、kikiちゃんの記事で初めて知って、河合隼雄先生の本を買って読んだ覚えがございます。

とってもスケールのでかい公案だったな~という印象です。
禅の世界でも最高に難しい公案かしらと、あの時思いました。

今、あの時に岩瀬書店で購入した河合隼雄先生の「ユング心理学と仏教」を手にしています。

なかなか理解が難しい本ですが、何故か時々気になるんだよね~

kikiちゃんのお写真の、「無の世界」が、「十牛図」の「人牛倶忘」にたとえられるのかな~???

いろいろと考えてしまいました~

いろんな意味で、気がかりな「十牛図」、
僕のような凡夫にとっては、一生かかっても解けない公案かもね。

だけど、それだけ考える意味のある奥深い魅力的な公案ですね♪

投稿者 やまがっこう : 2013年11月25日 19:43

kikiさん こんばんは。

kikiさんが夜の写真で表現したいもの、少しわかった気がします。
個人的には、kikiさんの写真は一度見ただけではむずかしいです。
(単純ではないという意味であり、良い意味です。)

わたしには表現できない世界なので、kikiさんの写真で自分なりに想いを巡らせています。
なるほど~と思うこともよくあります^^

わたしは夜が怖いので、、一人ではいけません。
もしかしたら、kikiさんがおっしゃる「人の持つ負の側面」を見るのが怖いのかもしれません。

愛宕神社のライトアップは、穏やかな光で映し出され、たくさんのたましいが集まっているように見えます。
神聖な場所だからそう見えてしまうのかも。
こちらも、暗闇にぼんやりと光る景色をこころ静かに拝見しました。

投稿者 : 2013年11月25日 20:04

>KENさん、ありがとうございます。

陽が落ちても美しいものは美しいようです。
それに重ねて真実の世界が現れてくるのでなおさらです。
伝教大師のお言葉、身に染み入ります。
なるほどそうなんですね。

投稿者 kiki : 2013年11月25日 20:27

>やまがっこうさん、ありがとうございます。

三春大神宮から愛宕神社の方をみると暗闇の中に丸い光がありました。
そこが愛宕神社のライトアップだと気づいた時に十牛図のことが脳裏をよぎり、こんな構成の写真にしてみました。

「ユング心理学と仏教」はこの分野ではわたしが初めて読んだ本です。
内容は難解ですが、河合先生のわかりやすい分析のおかげで西洋と東洋の違い、共通点等を知ることができました。

「十牛図」と「賢者の薔薇園」の新鮮な解釈には驚き感動しました。
「十牛図」はなんとか写真であらわすことも出来ますか、「賢者の薔薇園」は内容的にとても難しいです。

「何もまったくない無」というのが実は「あらゆるもので埋め尽くされた世界」であるというのを逆説的に知ったのもたしかこの本です。

宇宙のはじまりもこんな感じなんでしょうか。

投稿者 kiki : 2013年11月25日 20:55

>香さん、ありがとうございます。

わたしはこころに浮かぶいろんなことを表現したいと常々思っているのですが、残念ながら絵画とか文章とかは苦手です。

写真で表現することはきわめて難しいですが、試行錯誤でそれらしきものを手探り状態でやっています。

少しでもそれが伝わったらと思っていますが、なかなかそうはいかないようです。
「題」はその一つの手段にしていますが、どうでしょうか。

わたしも夜は怖いですが、カメラを持つと人が変わる不思議人間です。
三春大神宮の方は社務所に明かりがともっていますし、愛宕神社は繁華街からすぐのところです。

以前はライトアップにはあまり興味はなかったのですが、少し幅が広がったような気もします。
ただ日暮れはとても寒いですよ。

投稿者 kiki : 2013年11月25日 21:11

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